南ブログ(私の想い)
先日、とある新聞社から大会についての取材を受けていた時にふとした違和感を覚えました。 「毎年違うメンバーでの出場なのに、入賞という結果に導くとは素晴らしい才能ですね。」とのお言葉を聞いた時に、ん⁇才能⁇ってなんだろうと思ったのです。 辞書で引くと…才能とは、"物事を巧みになしうる生まれつきの能力"と出ています。 生まれつきの能力とは、両親やご先祖様から頂いた力でもあり、優れた環境から生まれた力でもあります。私は生まれつきの能力で今の結果を出したのか…。それはちょっと違うなぁと思うのです。もちろん両親から受け継いだこの分野においてのちょっとした優れた種はあるかもしれません。その両親から受け継いだ種を育てて花咲かせつつあるのは、のちに私がハワイ文化にのめり込み必死に学び常に探求心を持って歩んできている結果であるのかなと思います。「才能」ではなくて「努力」といわれる方がなんとなく心に馴染みます。 私の歩いてきた指導者ライフには、辛いことも悔しいことも大変な事も沢山ありました。失敗も結果が出ない時ももちろんありました。私はそんな時に「才能」がないから仕方ないと思ったことは一瞬たりともありません。もし失敗の原因を「才能」のせいにしたならば、私は永遠に努力から逃げ続けることができますし、それは私の1番好まないやり方です。 ギターリストである私の夫は2年ほど前から両手首の激痛と闘っております。何軒も何軒も一緒に病院を渡りましたが原因が分からず、最後にたどり着いたのは多くの音楽家が通う手の外科専門病院。米国の音学大学時代から大変ストイックにギターを学んできた彼の手を診察してくださったドクターは造影剤を入れて撮った画像を見てから、彼の手に視線を落として手をさすりながら言いました。 「頑張ったんだね。お疲れ様。」と。 その時、主人の目から流れた涙を私は一生忘れることはないでしょう。
スティーブンキングの言葉です。 「何事であれ、自分に才能があるとなれば、人は指先に血が滲み、目の玉が抜け落ちそうになるまでそのことにのめり込むはずである。」
生まれた時に頂いた才能とは、開花させる努力をちゃんとしてきた人に現れるものであり、努力しなければ形とならない、と私は思っています。 そして、どんな人でもご先祖様から、大きさは様々かもしれないけど多様な種を頂いて生まれてきていると思うのです。謙虚な姿勢でとことん努力をすれば自分の気付かなかった才能の種を見つけることもできるし、それを大きく咲かせることもできるはずです。
「自分の興味のあることや夢に真摯に向き合い、向き合える環境に感謝をして、努力を惜しまない。夢や目標に向かって途中で投げ出さず丁寧にコツコツと歩む。」
これからも「努力をする素晴らしいさと意味」をたくさんの人たちに伝えて行きたい。 それが私たち夫婦の終わりなき夢なのだと感じています。
南由希子
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